2006/10/30

I'm in the minority - Rush(2)

ーーー エキセントリック、マイノリティと言われること、別に嫌いじゃないですよ。


Ayn Randとの出会い。

 一個人の持っている情報網なんてのは、たかだか知れていて、いくらネットワークが発達した現代とはいえ、ある一定範囲以上にひろがることはまずない。個人内で形成され派生された情報なんてのは、所詮数珠つなぎになっ
ていて、なんらかの関連性があるのだ。Rushから「ツァラトゥストラはかく語りき」にたどり着くことはあっても、リムスキー・コルサコフなんかには、到底行き着かない。

 さて、チャプターのAyn Randという存在だが、ユダヤ系アメリカ人の作家である。アメリカではかなり有名な人らしくて、聖書の次に「人生で影響を受けた本」の「肩をすくめるアトラス」という作品を残した人である。米国文学なんてヘミグウェーくらいしか知らないのだが、そのヘミングウェ
ー以上に影響力のある作家らしい。アメリカでは。

 では、なんでタイトルが「RUSH(2)」となっているのか。
彼女の(おっと、Ayn Randは女性です)作品の「Anthem」が、微妙にRushとクロスオーバーするのです。(この「Anthem」という作品は、残念ながら、日本語訳本は出ていません、あしからず。がんばって英語勉強しようね)
 今回のアルバム「2112」を紹介するにあたってまず、Ayn Randを紹介しなくてはいけないのです。

 ざっくりいきますと、Anthemのあらすじっていうのが、こんな感じ
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遠くない未来、現在の文明が亡び、僕達の子孫は、ものす
ごい全体主義で、個人の自由なんてまったくない社会で生
きているのです。そんな中で唯一人、主人公がその閉塞性
に違和感を感じ、自由な意志、行動を起こそうとするのだ
けども、なんせ相手は、超全体主義な「協議会」の連中な
もんだから、異端扱いで処刑されそうになって、森の奥へ
と逃げていき、究極の発見をするのです。
 なによりもこの小説のおもしろいところが、究極的全体
主義の描写です。まず名前がない。「平等7-2521号」とい
うのが主人公を表現する記号です。さらに就職活動もなく
「天職委員会」ってところが仕事を割り当てる。結婚とい
うものものなくて、年に一度、割り当てられた人と性交を
行う。だから、ほぼ、みんな同じ誕生日(笑)。一日の行動
は、決まっていて、みんな同じ行動をする。さらに、個人
という概念がないため、「我々」「あなたたち」「彼ら」
という、○人称複数の概念しかない。だから、この小説は、
主人公、「平等7-2521号」の行動、言動すらも、「我々は
こう考えた」「我々は廊下を歩いていった」などと、ちょ
っと違和感のある言い回しになっています。
 まぁ、そんな社会の中で、主人公は、「我々は我々の思
いどおりに生きる」ことの清清しさを覚え、「我々の惚れ
た女性」と恋に落ちたりして、物語は進んで行くのだが-------
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とまぁ、推理小説の犯人を言ってしまうようで、読んでみたいかな、と思った人に悪いので、これ以上は書きませんが、とにかく、すばらしい発見をするのです。


さて、話をRushに戻しまして、「2112」です。知人が、どっかで、究極のロックオペラについてお話を展開中だが、僕の中での究極のロックオペラは、「2112」以外ありえないのである。まぁ、西遊記のゴダイゴもありだけどね。なんせ、組曲ですよ、組曲。
 で、この曲のストーリーですが、Ayn Randの「Anthem」に影響を受けているらしくて、いい感じで似ているのです。

2112年、レッドスター太陽系連合の中枢「シリンクス寺院」
が中央集権的な宗教国家として仕切っていて、自由のまった
くない主人公が、前時代の遺跡から、ギターを発見して、
「自由に音楽を奏でることが出来る装置」を司祭に披露した
ところ、異端児扱いされてしまい、洞窟に逃げ隠れ未だ見ぬ
自由な世界へ夢を抱きつつ果ててしまう。

というストーリーです。

 どちらも、「何か」を発見するんだけども、はじかれ、認められず、支配階級の言う楽園から追い出されてしまうのだが、さて、楽園はどっちなのだろうか?

 まるでユートピア的共産主義の真っ只中に居ながら、外側からユートピアを観察できた主人公故の違和感ってのが感じられます。
 そして、僕等はいま、外側にいるんだけども、なんか、いま半島がああいう状況だから、ものすごく、このお話を書いているってのにリアリズムを感じてしまうのです。それ故に、Ayn Rand、2112はタイムリーな作品です。

2006/10/07

I'm in the minority - Rush(1)

普通に楽曲のレビューしてもいいんだけど、そんなレビューはくさるほどあるだろうから、そっちにまかせるとして、「このCDで僕はこう変化した」的な話だと、ちょっと楽しめるかなとか思います。


ーーー エキセントリック、マイノリティと言われること、別に嫌いじゃないですよ。


Rushとの出会い。

 僕は、貧乏だった。どれくらい貧乏かというと、2ヶ月のお小遣いを集めて、CD1枚買うのがやっと、という高校生活を送っていた。だから、購入するCDを選ぶ時には、それはもう必死だった。
 当時は、MTV、ベストヒットUSA、FMステーションからの情報しかなく(あ、ピーター・バラカンのスーパーポップTVなんて渋い選曲していた番組もあったなあ)、学校の友達との会話では、ビルボードのランキングだとか、DURAN DURANだとか、Wham!だとか、とにかく、ヒットチャートの話題で溢れていた。というか、それしかなかった。
 やはり、クラスの友人と話を合わせるべく、というか、選択肢がそれしかないのだから、僕もヒットチャートをよく聞くミーハーな好みだった。(今となっては、時々KajaGooGooを聞いたりもするのだが、なかなかいい曲だねぇ、TooShyは)
Till Tuesdayを知っているだろうか?女性ボーカルのエイミー・マン率いるバンドだが、このアーティストのデビュー曲「Voices Carry」にやられてしまった。彼女の声に惚れてしまった。そもそも女性ボーカルっちゅうのは、もっと幼いころに、兄の影響で、BlondieやKim CarnsやFleetwood Macなんかを聞いていて、ちょっとハスキー系なのが好みだったのだが、彼女の澄んだ声にやられてしまった。
 しかし、いかんせん僕は貧乏だった。だから、Til Tuesdayのアルバムは買えなかった。しかも、この曲は売れ線ではなかった。この頃の女性ボーカルの決定版は「Bungles」しかありえなかったのだ。だから、Til Tuesdayは、スルーした。
 法律的にやばい話になるが、当時は、クラスメートで購入したCDをみんなでダビングして楽しんでいた。僕個人の判断基準というよりは、クラスメートの動向も視野に入れた上での選択となるのだ。BunglesはOKだが、Til Tuesdayはバツなのだ。Bunglesは友達が持っていたので、確か僕はこの時の選択で、「Heart」を選択した。それはそれで後悔はしていないのだが、今、聞き返すことはないアルバムのひとつだ。

 そんな状況の中で、僕に最高のチャンスが訪れた。「修学旅行」である。この行事は、親の財布が緩む。
「おみやげ代とか、いろいろお金かかるだろうから、餞別をあげよう」
貰ったお小遣いは、確か三万円。CDが10枚買える。みんなが新京極で八つ橋だのおみやげを買っている横でレコード屋に行き、CDを買い漁った。その中の1枚が、このカナダのトリオバンド「RUSH」の「Hold Your Fire」である。

 さて、なんでこのマイナーなバンド「RUSH」を買うに至ったか。シングルカット1曲目の「Time Stand Still」のコーラスに、エイミー・マンが参加しているからである。
 RUSHのことは、中学時代に「Power Windows」がリリースされていたのは知っていたし、「Big Money」っていうなにやら、シンセがぱきぱき鳴っているような曲だなぁ、っていう程度で知っていた。心の琴線に触れるような楽曲ではなかった。

 さて、修学旅行の帰りのバスの中だが、ポータブルCDなんてものは持っていないので、ひたすらライナーノーツと歌詞を読みまくった。友人が大富豪やってる横で、ひたすら歌詞を読んでいた。だって、曲が聞けないんだもの。

 原文と訳詞を見比べながら読み進めると、僕の目からは、みるみる鱗が落ちまくった。 
「なんなんだ。この歌詞は。ロックの歌詞じゃねぇ」
 そう、僕は、気づいてしまった。このバンドは、安易なラブソングは謳わない。ストーリーテラーでもない。メッセージソングほど厚かましくない。これは、哲学だ。これは、道標だ。

「事態に直面したとき、どのように考え、行動すべきか」

たぶん、僕は悲観論者であった。しかし、あっけらかんと楽観的に振る舞う術を人間関係の中に構築していた。

日本で「エゴ」というと、「わがままを押し通す」的な、どうもネガティブな印象しかあたえないと思う。「エゴ=自我」という本来の意味でいくと、自分が自分であるべき主義主張をしっかりと持って生きていく、そういうこ
とがとても重要なのではないかと思う。生きている意味であったり、存在意義、行動に至るモチベーションというものが、自分の心の中の根底にしっかりと存在していれば、人生ってのは、なんて素敵なものなのだろう、と思えてくるはずだ。

 初めて買ったRUSHのCD。僕は歌詞を先に読んだ。もしこれが楽曲を聴くことから始めたら、きっと気づかなかっただろう。
 この経験から、僕はまず歌詞を読む。それから曲を聴き始める。RUSHに限らず、そうすることにしている。

「RUSHは歌詞がいい」

さて、次の新譜は、いったいどんな世界を見せてくれるのだろうか、とても楽しみだ。