職場では、よく「ニンゲン」という表現が飛び交っていて、それはそれはとても気になるのです。
例えば・・・
「ああ、その件は、●●●ができるニンゲンに頼んでおきました」
「土曜日に日勤だったニンゲンに聞いてみないと・・・」
はて、この「ニンゲン」。どう理解すればいいのか。ヒューマン・ビーイング、ホモサピエンス、霊長類ヒト科・・・。
わからないことは、Wikipediaくんに聞いてみるのがいちばんだ。というわけで、早速、調べてみた。「ニンゲン:Wikipedia」。
ほぉ、なにやらUMAらしい。未確認生物らしい。先ほどの、例文に当てはめてみると・・・
「ああ、その件は、●●●ができる「未確認生物」に頼んでおきました」
「土曜日に日勤だった「南極の海域に出現する謎の大型物体」に聞いてみないと・・・」
●●●のスキルを持っている未確認生物ってのもすごい話だが、そのスキルを未確認生物が持っているって確認できた同僚もすごい。土曜日勤の謎の大型物体に事情聞くために、調査隊を派遣しなくちゃいけないのか?
なんで「ヒト」って言わないんだろう。せめて「ヤツ」。ぼくはニンゲンというフレーズに触れるたび、ホモサピエンス的な想像が膨らんでしまう。そこには一切の人間性が排除された存在でしかない殺伐とした感じだ。敬意だの尊厳だのそういうヒューマニズムなことを持ち出すつもりはないが、そこにぬくもりは一切ない。
ひとつのレトリックとしての「ニンゲン」。例えば、あいだみつをの有名なフレーズ「人間だもの」。これは許せる。この場合は、他に置き換えるべき秀逸な代名詞が見付からないからだ。「ヒトだもの」(この場合、なんか一気に動物くさくなった)、「ヤツだもの」(なんか他人事になっちゃった)、「国民だもの」(ナショナリズムがじわりと感じられる)、「一市民だもの」(みつをの世界が崩壊したね)。なんか、いろいろ難しくなってきましたが、レトリックとしてのニンゲンは、今後の研修課題ということにしておこう。
「ニンゲン」という表現についても、たぶん、使いかたによっては、許せるものなのだと思う。前述の2つの例文は、ものすごく拒絶反応があるが、例えば、「あいつは、酒さえのめりゃいいって思ってるようなニンゲンだからさ」ってなフレーズが、酒呑み話の中で出てきたら、「酒呑みのあいつ」の人間臭さすら感じとれるようだ。
結論、職場での「ニンゲン」は、なんか、寒くなる。