2005/01/19

2005 趣味探しの旅

とはいっても、大層なことはないのだが・・・。
これから先の人生、継続してやっていける趣味というものを持たねばいけないなぁ、と思っているわけです。
はっきり言って、いま、ぼくの趣味と言えるものは、「食事&料理」。これから先の成人病世代に向けて、とても危険な趣味であると、最近実感したわけです。 年末年始の夜毎の晩餐で、ぼくの胃袋は常に満タン。こんな状態では、確実に成人病になってしまう。現在の趣味の方向性を変えていかねばいけない。運動する ことも重要だが、こればっかりはなかなかうまくいかない。生まれながらにラクするための苦労は惜しまない性格のせいだ。というわけで、興味の方向性を ちょっと変えてやれば、きっと「食事&料理」という趣味から移行できるのではないかと思ったのだった。
だからといって、ぼくの興味のないようなことを無理にやったとしても、それはそれで長続きしないだろうし、毎日の生活のリズムってのもあるわけだから、強 引にスケジュールを入れても、長続きしないだろう。休日の午後は、Jacquesの散歩に費やされることになる。少しづつ、ちまちまできるような趣味がい いだろう。家内の父親の趣味は、絵を描くことだ。趣味の範囲を大いに越えているようだが、幼少の頃から好きだったらしく、終生の直前までたしなめるすばら しい趣味であると思う。
さて、ではぼくはどうだろう。なぁんにもない。こんなんじゃ、すてきな余生を送ることができないのではないか、と最近とくに思う。唐揚げを揚げるのが得意 だからといって、それを趣味にするというのもなんか違う感じだ。読書や音楽鑑賞、映画鑑賞、ネットサーフィンだって立派な趣味といえるかもしれないが、受 け身的なものを趣味と言うのも違う感じがする。絵画にしろ、楽器にしろ、「自分が何かをする」という能動的なものが、「すてきな趣味」と思える。
ちょっと前までは、ぼくは胸を張って「料理が趣味」と言っていた。たしかに、モノ作りという点では、能動的であるし、料理を食べる立場よりも、作る立場の 方が趣味性が強い。なによりも作ったものを食べてくれて、「おいしい!」なんて言われたりするのが、案外うれしいものだ。それに、絵画や音楽などと違っ て、同じモノ作りでも、結果がすぐに出るあたりがいい。
しかし、料理を作るということは食べるということでもあり、やはりこればっかりは避けられない。作るという趣味と、食べるという趣味の両方を持ち合わせているのがいけないらしい。というわけで、料理&食事という趣味をなんとかしたいのだ。
ぼくには5つ年上の姉がいて、フォークソングが流行した頃に、姉はギターをやっていた。時折、ぼくを部屋へ呼びつけ、姉の演奏を聞かされていた。そのうち、聞かされるだけでなく、「あんたもやんなさい」になった。たしか、ぼくはそのとき小学4、5年くらいだった。
まず、姉はぼくにギターのコードを教えるのだが、その時の教え方というのが、こんな感じだ。
「こ のコードを覚えれば、あとは簡単だから、つらいかもしれないけど、これをやんなさい」といって、「F」のコードをぼくに教えた。なんか指がとても痛かった のを覚えている。覚えているのはそれだけ。痛いってだけ。指先は弦で痛いし、指の関節はツりそうになって痛いし。とにかく痛かった。それでも姉は、「ほ ら!指先が寝てる!立てて!」とスパルタな感じでぼくに教えていた。 それでぼくはギターを弾くのが嫌いになった。
ぼくはギターの音は大好きだ。ロックはもちろん、ボサノバも、フラメンコも、フォークだって嫌いじゃない。ただ、ギターを弾くのだけは姉との過去があり、遠ざかっていた。「指が痛いからもーいやだー!」と投げ出した子供の時に投げ出したまんまになっていた。

そうだ、ギターを始めよう。もう怖いおねーちゃんはいない。ぼくのペースでやればいいんだ。スパルタンな環境ではないんだ。そう考えたら、のびのびやっていけそうな気がした。早速、家内の実家の奥底に眠っているギターを引っ張りだし、弦を張り替え、チューニングもした。
目標はボサノバの「Samba de Uma Nota So」。

まぁ、死ぬまでには弾けるようになるだろう。

大凶な出来事 その1
自販機でたばこを買おうとして、千円札のしわを伸ばそうと、ぴん!と引っ張ったら、やぶれた。

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